リユースで東北にツリーハウスを作ろう!

誰もが笑顔になる、ツリーハウス

リユース!ジャパンマーケットでツリーハウスクリエイターの小林崇さんと「100のツリーハウス」発起人糸井重里さんの対談が実現しました。 お二人が考えるツリーハウスとはどんなものでしょう。 ※今回作成するのツリーハウスは小林さん監修ではございません

糸井さんと小林さんが、このリユース!ジャパンマーケットに参加されるようになったいきさつについて 今回皆さんにお持ちいただいた古着は全て査定を行い、その査定金額を東北復興支援のために、糸井さんが代表として活動されている東北ツリーハウス観光協会、100のツリーハウスプロジェクトへ全額寄付いたします。ヤフオク!ドームのある福岡は東北との距離が遠く、復興支援に協力したいと思っても、ボランティアなどに参加するのが難しいと声を聞きました。ならばこのイベントを通じて、九州の人たちの復興への思いを届けられないかと考えました。そんなときにツリーハウスの存在と、糸井さんの活動を知り、共感して、このプロジェクトに寄付をすることにしました。リユースは環境に優しくて、経済的で、楽しいです。ツリーハウスも同様に、自然の木の上に廃材などを使って家を建てるため、環境に優しく、経済的で、何より楽しくわくわくします。そのツリーハウスの第一人者が小林さんになります。

ツリーハウスを東北にたくさん作る理由、またツリーハウスの魅力について、さらに詳しく糸井さん、小林さんからお話しいただきます。
糸井今日、僕はこのリユース!ジャパンマーケットのイベントを通じて初めて小林さんに会いました。 小林やっと会うことができてうれしいです。 糸井こちらこそありがとうございます。簡単にご説明させていただきますと、ツリーハウスっていうものは、子どものときにみんな、あったらいいな、作りたいなと思うけど、実際子どもの力ではできないんですよね。 小林アメリカでは子供が遊びの中で小さいハウスのような空間を作って、その中で遊んだり本を読んだりする世界が、日本でいうと秘密基地の延長ですよね。 糸井僕も近所にいいケヤキの木があって、ツリーハウスのまね事をした覚えがあります。ただ小さな家となる箱を作ったところで大体挫折して完成していません。そこからずっとやりかけで、覚えているものの、またやるっていう機会もなく、そのままになっていた心の中の忘れものみたいなものでしたね。 小林そのとおりだと思います。大学生になったとき、大人になった人がふと思い出して今はクオリティーが高くなっているんじゃないですかね。 糸井僕は近くに木があったわけでもなく思い出だけだったため、東北に通うことがなかったら、多分ツリーハウスの話を思いつかなかったと思います。海の側が津波の被害で亡くなった人も居る、家が流された、工場が流されたという話をしてる。堤防をどうするんだとか、土地の値段がどうなるんだとか、ここにはもう建てちゃいけないとか、海の話をしている限りは話がちっとも前に行きません。100年200年先のレベルで言えば、必ずなんとかなっていると思います。 気仙沼は海のことばっかりでしたが、半分は山の側じゃないかと気付きました。山の側にあるっていうことを、もっと喜んだらどうだろうと思ったんです。山の側にもしツリーハウスがあったら、観光客が増えるんじゃないかと。 小林ある日いきなり、その場を見て、ツリーハウスが思いついたのですか? 糸井林の中を歩きましょうというキャンペーンはなかなかできないけど、ツリーハウスがあるから見に行く? って言ったら、行くなあと。ただ、普通の仕事と同じように考えたら難しいから「やるに決まってる」っていう状態で頭を切り替えて、市役所に行きました。実現できるか相談に行ったところ、市役所の人たちはそういう面白いことをやりたかったと言ってくれました。市役所が味方についてくれたらやれると思って、「じゃあとにかく動きだしましょう」と言ったのが始まりです。 小林それはいつ頃ですか? 糸井去年の1月ですね。今は取りあえずやってみようと始めたのが1軒と、やりかけてるのが半分という状況ですね。 小林僕はちょうど半年ぐらい前に東北でツリーハウスが100個できるらしいけど、小林さんがやってるの? と言われました。100個? 何それって言ったら、糸井重里さんが、東北にツリーハウス100個作ろうという話があって、あちこちから聞いてると。僕のところに居た後輩も少し関わっているそうで、俺は20年かかって100個なのに、どうやって100個作るんだと思っていたところ、今回この対談のお話しがありました。 糸井僕らは、東北に来てほしいという思いから始まったので、例えばミッキーマウスも来てほしいとか、とにかく人の目が東北から離れないようにしたいというのがありました。、実現は100年後になるかもしれないけど、最初に100個と言ったときに、急にやれるような気が逆にし始めた。1だとやれないかもしれないけど、100って言ったらやれるかもしれないと。最初は素人なので、どういう木がいいのかさえ分からずトタバタしましたね。でもみんな面白がるっていうのがこの話の特徴ですね。 小林ツリーハウスの特徴でしょうね。あと、アイコンにとってもなりやすい。森のアイコンっていうのかな。ツリーハウスを作るって聞いただけで、何か関われることがあるんだったら。 糸井手伝うよって。 小林いや、手伝いたいですよって人が、僕の周りにもサポートスタッフっていうのが何百人も居るんですね。だから集まりやすいとは思います。 糸井僕には震災がなかったらあり得なかった話ですけど、20年も前に小林さんがこの世界に入っちゃった。その溺れていく話を逆に聞きたいですね。 小林20年ぐらい前ですかね。当時都会をさまよってたというか。僕は伊豆の東伊豆の出身で、山と海に囲まれて、原風景をたどれば木の上にも居たことがあり、秘密基地のようなものにも携わった経験もあります。東京に来て、昔『すばらしい世界旅行』とか『驚異の世界』のような海外取材番組が好きで、そのクルーになるために日芸を目指しました。 でも行った先はスポーツ関係の仕事で、うまくいかず旅にでることにしました。 糸井哲学的な青年だったわけですか。 小林そうですね。世の中のいろんなものが自分に合わないと思い、マイノリティーを生かすには、この国ではなくもっと違うところを見てこようと思って旅にでました。行った先では結構ハッピーなんですけど、成田に着くとしゅんとなって、年齢も30を超え、周りのプレッシャーも、家族のプレッシャーも増えてきて、生活も成り立たないっていう頃に見つけたんです。道端に落ちてるものを見つけるように、何これ?っていうのがツリーハウスだった。 そこから一気に木と出会うわけですね。木と出会い、この木の周りを何かしたら面白いなっというのは今もあります。原宿にハイダーウェイっていうカフェがあって、僕が住んでたアパートなんです。 糸井見に行きました、僕。 小林今でも賃貸のアパートなんですが、そこの壁をぶち破って、外にある木を囲んだっていうのが第1号ですね。僕は大工の技術もなければ、建築の技術もないし、のこぎりも始めて持ったような状態でやってみたら、とっても面白かったんですね。 糸井真ん中を木がぶち抜いた家ですよね。 小林そう。それがカフェになってるんですよ。あれもイリーガルなんだと思うんですよ。 柱が入ってないですから、テレビのセットと同じで、蹴れば壁が倒れちゃうみたいな。でも20年、まだもっています。 糸井今も原宿に行けばあります。あれが小林さんの第1号ですか。 小林ルーツなんですね。それからああいうものをツリーハウスということを知って、アメリカの旅の途中で出会った本にツリーハウシーズっていう、ピーター・ネルソンっていう人の写真集があり、それを持ち帰り、いろいろ調べるんですけど、当時まだ情報がなくよく分からない状態でした。ある雑誌のイベントで、ピーター・ネルソンが来日するっていうことになり、彼と会い、初めて日本で、ピーター・ネルソンもアメリカ人の作るツリーハウスに黒子として参加して、そこから今年の秋に、オレゴンで世界的なツリーハウスのイベントやるから、おまえも日本代表で来いと。日本代表っていっても、まだ何も知らない状態で参加しました。 それから毎年、オレゴン州で開催されているイベントに参加しながら、ヒッピーカルチャーのあるフリーダムの象徴ということや、木のことを深く知るようになりました。 糸井今、たまたまヒッピーカルチャーっていう言葉が出ましたけど、最近いろんな面白い人に会うと、どこかにヒッピーカルチャーの洗礼を受けてるんですよ。 小林ああ、そうかもしれないですね。 糸井例えば、イタリアのプロサッカー選手にアンリークイールという人がいて、革製品のベルトや財布を好きで作っていたら、それが認められて今は革のアーティストとして活躍しています。彼と話をしてると、やっぱり根っこにヒッピーカルチャーがあった。もう一人は、シルク・ド・ソレイユの創始者のうちの1人にジル・サンクロワっていう人がいて竹馬に乗って旅をした。そこで寄付を集めて資金を作ったというのがシルク・ド・ソレイユの初期の頃のお金の集め方。彼もやはりヒッピーカルチャーの子どもだった。ヒッピーカルチャーは居心地の悪さから作っていった文化ですよね。 糸井全部納得して生きてる人には、ちっとも魅力がないですよね。ツリーハウスって。 小林そう。ツリーハウスはなくてもいいですからね。無駄なことを一生懸命やってる人がたくさん居ると困りますけど、少しであれば、居たほうが生物多様性っていうのも含めていいんじゃないのかなと思いますね。 糸井僕、昨日違う人と違う話の中で自分で言った言葉なんですけど、すごい大失敗をやったみたいな話があったときに、その大失敗をやったことのある人と、それをやったことのない人はどっちが面白いかって言ったら、大失敗のやったことのある人のほうが面白いよねという話をしました。ツリーハウスのある日本と、ツリーハウスのない日本と考えたら、どれだけ役に立たないかは別として、ツリーハウスのある日本に住みたいですよね。 小林豊かな気がしますよね。お金じゃなく、怪しくてリスクのあるものを、台風や雪が降る中でも、一生懸命作っているということが、きっととってもすてきなんだと思います。 今きっとこの現世界には、あまり存在しえないリスクも含めたわくわく、どきどき。わくわくするのには、どきどきも必要なんですよね。楽しいものの中に、ちょっとドキっとするものがあるから、わくわくできるんです。 糸井2階から外見ても、全然面白くもなんともないですよね3階でも4階でも面白くない。でも木の高さで、2階の高さかどっかを見たら、それだけで面白い。 小林会社のミーティングルームや公民館として利用するとか。スタジオとかもいいですよね。 糸井緊迫感を背中にして、みんなでミーティングをすると、新しいアイデア出てくるかもしれない。 小林ラジオ局がやりたいです。 糸井いいですね! 僕は100作るって最初にもう看板に掲げてますけど、100作るのは皆さんの力のおかげです。一つ作るだけでも大変なことを、100作るっていうのは、みんなが作りたいと思って、責任を持って参加してくれたら、きっと木の上からの新しい景色は見えると思います。何年かかるか分かりませんけど、みんなの豊かさを作るような計画を手伝っていただけたらと思います。リユースジャパンマーケットの収益金もそのツリーハウスに使われるということらしいのでとってもありがたいです。お金のある人はお金を。知恵のある人は知恵を。暇のある人は暇を。みんなで出しあって、お猿の気持ちに。 小林そうですね。はい、なったらいいなと思います。 糸井やっぱり顔が笑ってますよ、みんな。ツリーハウスの話するとき笑うんだよ、ちょっと。

糸井重里さん 群馬県生まれ。1975年、東京コピーライターズクラブ新人賞受賞。1980年代に不思議大好き、おいしい生活などの名コピーで一世を風靡。コピー制作、作詞、ゲーム制作、文筆など、幅広い分野で活躍を続けていらっしゃいます。1998年には、ほぼ日刊糸井新聞、略してほぼ日、ほぼ日手帳をね、使ってるという方たくさんいらっしゃると思いますけれども、インターネット上にその新聞を開設されまして、著書に『ぽてんしゃる。』『ボールのようなことば。』和田誠さんと糸井さんの共同編集で『土屋耕一のことばの遊び場』などがあります。

小林崇さん スタイルとデザイン、感性をコンセプトにしたツリーハウスを創作する、日本のツリーハウス第一人者です。1994年、ツリーハウス建築の世界的権威、ピーター・ネルソンに出会い、毎年オレゴン州で開催されるツリーハウスの国際イベント、ワールドツリーハウスカンファレンスに日本から唯一参加されるようになりました。世界中のツリーハウスビルダーや樹木医と交流しながら、最先端の技術やデザイン、樹木学などを学び、ツリーハウス情報を共有。2000年、ジャパンツリーハウスネットワークを立ち上げ、2007年には株式会社ツリーハウスクリエーションを設立されました。沖縄から北海道まで各地の風土、樹木に適したツリーハウスを制作。いつもと違う視点や発想を得られる木の上の空間、ツリーハウス。大人が夢中になれる遊びと捉え、夢をあきらめないことや、遊びのなかから学ぶことを大切にし、自然で豊かな生き方という価値観を提案されています。

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